キハ40 301 貫通扉 7

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〜 両端部側面付近。乗務員室扉に追加された取手は「埋込取手」「掘込引手」などと呼ばれる部品。, キハ40 2133と同ロットで、1981年12月富士重工にて落成、伊勢に新製配置された車両。, ジャンパ栓収め準備工事の凹みは埋められている形状。キハ47形の国鉄気動車色塗装車は, キハ40系の新製当時、国鉄の気動車の塗装は朱色5号単色の「首都圏色」が標準化されていて、, 新製時の車番はキハ20 2009。1979年7月新潟鐵工製で、岡山に新製配置されてから, KE93ジャンパ連結器仕様に対応改造済み。現在の岡山地区ではKE53×2本の接続で使用されるため、, 追加されたホーム検知センサー。ワンマン運行時にドア誤操作を防ぐため装備されたもの。, 改造前車番はキハ47 2010。上の3001とは同ロットで、ほぼ同じ時期に3000番台化改造を受けている。, こちらはまだKE93ジャンパ連結器化は未施工で、従来の通りKE94アダプターを介して, 次回、残りのキハ40形3000番台車を掲載して、手持ちの記録すべての公開が終わります。. 関東鉄道キハ300形気動車(かんとうてつどうキハ300がたきどうしゃ)は、関東鉄道にかつて在籍していた通勤型 気動車である。 1987年(昭和62年)から1992年(平成4年)にかけて、日本国有鉄道(国鉄)のキハ35系気動車を譲り受けたものである。.

1986/10, 1984/02 また、2017年くらいにキハ40-301は先頭の貫通扉を埋め、検測車両に改造されています。 キハ40-304は見た感じ改造された形跡はないのですが、完全にマヤ35の牽引車固定となっています。

元jr北海道のキハ48(キハ48 301+キハ48 302)は2両固定編成のため、総括制御が出来るようジャンパ栓やブレーキホース(エアーホース)は接続されている。エンジンは片方の車両しか稼動させない。この時は2両目のキハ48 301(rbe2588)をエンジン稼動させ、先頭車は無動力状態で運転していた。 レイルラボ メンバーさんから投稿された「JR北海道 キハ40 301」の鉄道フォト・画像一覧です。, 鉄道の旅を記録しませんか?乗車距離は自動計算!写真やメモを添えてカンタンに記録できます。 関東鉄道キハ300形気動車(かんとうてつどうキハ300がたきどうしゃ)は、関東鉄道にかつて在籍していた通勤型気動車である。1987年(昭和62年)から1992年(平成4年)にかけて、日本国有鉄道(国鉄)のキハ35系気動車を譲り受けたものである。, それまでの常総線では、自社で新製された車両のほか、日本各地の鉄道から譲受した雑多な気動車が使用されており、一部からは「気動車の見本市」と評される程であったが、それらの車両は形式により車体長や扉数が異なるなど旅客取り扱い上問題を抱えていたほか、老朽化や機器の不統一によって車両の保守上も非効率な面が大きかった。, そこで、関東鉄道は日本国有鉄道清算事業団からキハ35系気動車を大量に購入し、同線の旧型車を一掃することとした。それによって登場したのがキハ300形(旧キハ30形)およびキハ350形(旧キハ35形・キハ36形)である。, また、国鉄キハ35系導入の背景には、1987年4月に廃止された傍系の筑波鉄道から移籍となった、旧国鉄のキハ30形 (301) の存在がある。全長20m級の3扉ロングシート車である同車は、常総線の輸送事情に合致した車両であった。さらに、同年の国鉄分割民営化によって国鉄清算事業団経由で同系車が安価かつ大量に調達できる状況であったことも、大量導入につながる要因となった。, 1987年に第一陣として購入されたのは、キハ30形とキハ35形が各3両、キハ36形が4両の計10両である。これらは水海道機関区で整備工事を受け、旧キハ30形はキハ300形(302 - 304)、旧キハ35形・キハ36形はキハ350形(351 - 357)として翌1988年2月から順次営業運転に投入された。片運転台のキハ350形は同形式2両で編成を組み、車両番号は取手向きが偶数、下館向きが奇数となっている。その1988年もキハ35形9両とキハ36形1両の計10両が国鉄清算事業団から購入された。これらも整備工事を受けて翌1989年(平成元年)8月までに就役し、キハ350形(358 - 3517)となった。このうち3517は取手向きであったが、欠番を嫌って例外的に奇数番号が付与され、後年の増備によって下館向きの2代目3517が登場した際に3518に改番されている。, 1990年(平成2年)にはさらなる車種統一の推進のため、九州旅客鉄道(JR九州)からキハ30形10両が購入された。これらは整備工事を受けて1991年(平成3年)1月から1992年5月にかけて9両がキハ300形(305 - 3013)として就役したが、1両(キハ30 93)は入籍されずに部品取り車となり、後に解体された。その1992年は東日本旅客鉄道(JR東日本)から相模線の電化によって余剰となったキハ30形3両とキハ35形7両の計10両が購入された。これらはキハ300形(3014 - 3016)とキハ350形(3517〈2代〉・3519 - 3523)として就役したが、キハ35形1両(キハ35 158)は、車両更新方針の変更(新造車による置き換え)により、入籍されないまま解体された。, 本形式は、入線に際して水海道機関区で整備工事を受けたが、その内容は次のとおりである。, 1987年の筑波鉄道からの移籍車に続き、1992年までに国鉄清算事業団およびJR九州・東日本から移籍した両運転台付のもので、計16両が導入された。新番号は旧番号に関わりなく、落成順に付与されている。, 1997年(平成9年)には、水海道駅 - 下館駅間のワンマン運転開始に伴い4両がキハ100形に改造されたが、翌1998年(平成10年)の新造車投入に伴い2両がキハ300形に復している。, 上記のうち、キハ301は元筑波鉄道在籍車で、ドア部のステップや半自動機構が残っており、関東鉄道への移籍後もそのまま使用されたが、徐々に増備車と仕様が合わせられていった。前面の行先表示器は、筑波鉄道在籍時、関東鉄道移籍当初には埋め込まれて異彩を放っていたが、1998年12月11日付けで再び設置された。, 1987年 - 1992年に国鉄清算事業団およびJR九州・東日本の片運転台仕様のキハ35形・キハ36形が移籍したもので、計23両が導入された。新番号は旧番号に関わりなく、落成順に付与されている。, 1997年3月の水海道 - 下館間のワンマン運転化に伴いキハ300形から4両が改造・改番された形式である。この改造は、新潟鐵工所の出張工事によって実施され、内容は、車内へのワンマン運転関連機器(運賃箱、整理券発行機、運賃表示器)ならびに運転席への車内放送用マイクおよび扉開閉スイッチの取り付け、運転台仕切りおよび一部座席の撤去である。, 翌1998年(平成10年)には新造車(キハ2200形)の投入に伴い、2両はワンマン運転関連機器が撤去され、旧形式番号に復している。, 本形式は単行運転が原則であることから、衝突事故などによってブレーキ配管が損傷し、回送不能となるのを防止するため、2001年(平成13年)に運転台前面下部にスカート(排障器)が取り付けられている。, 関東鉄道移籍後に行われた大規模な改造としては、冷房装置の取り付けと走行用機関の換装が挙げられる。また、その他にはATSや列車無線装置の取り付け、取手駅で発生した列車突入事故対策の運転台側貫通路への幌の取り付け(手すりの撤去)などがある。, 導入当初の本形式は国鉄→JR時代のままの非冷房車だったが、鉄道車両の冷房化は時代の趨勢であり、関東鉄道でも本形式に1989年度から冷房装置を設置するようになった。取手事故による廃車と一部(3014・3015)を除いた35両に対して改造を実施している。後期就役車の登場時にはすでに冷房改造車が登場していたが、入線整備時に冷房改造を施工した車両はなく、すべて就役後の取り付けである。, 取り付けられた冷房装置は、走行用機関とは別の冷房用機関を備えるサブエンジン方式でバス用のものに手を加えたトヨタ・2Jであったが、1994年以降の施工車はトヨタ・2DZに変更された。冷房ユニットは床下に装備され、室内には網棚上部に風道と冷風の吹き出し口が設けられた。, その後、取手駅などでの長時間停車中に床下にある放熱ユニットでの冷却がうまく行われないことによるオーバーヒートが発生するようになったため、2001年から屋根上に放熱ユニット(「スーパークーラー」と称する)を増設する工事が行われた。, 本形式が元々装備していたDMH17H形ディーゼルエンジンは非力な上、保守用部品の入手も困難になってきていたため、1993年(平成5年)から1996年まで新潟鐵工所製のDMF13HZ (230ps) に換装された。キハ100形2両(101・102)、キハ300形4両(301・303・305・3016)およびキハ350形10両(351 - 354・358・3511・3518 - 3521)の計16両に対して行われている。それに伴って変速機がDF115A(湿式多板クラッチ)に統一された。従来はTC2A(乾式単板クラッチ)も併用されていたが、機関換装の際に強化改修が必要だったことと製造メーカー(神鋼造機)の撤退により部品入手が困難になっていたために行われたものである。, さようなら乗車会&撮影会で運転されたキハ358+キハ3511のさよなら運転(2011年10月10日), 気動車 : キハ310形II - キハ0形 - キハ2100形 - キハ2200形 - キハ2300形 - キハ2400形 - キハ5000形 - キハ5010形- キハ5020形ディーゼル機関車:DD502形, 気動車 : キハ40084形・キハ40085形 - キハ500形・キハ504形 - キハ510形 - キハ610形 - キハ751形・キハ753形 - キハ755形 - キハ813形 - キハ900形 - キクハ1形・キサハ65形 - キサハ70形 - キハ300形蒸気機関車 : 1形 - 6形 - 7形II - 10形 - 50形 - A2形 - A5形貨車 : トキ250形, 気動車 : キハ41300形・キサハ41800形 - キハ520形 - キハ530形 - キサハ70形蒸気機関車 : 竜崎鉄道1号, 気動車 :キハ42200形 - キハ410形 - キハ430形 - キハ600形 - キハ714形・キハ715形ディーゼル機関車 : DD90形 - DD902形蒸気機関車 : 3形 - 5形, 気動車 : キハ310形 I - キハ460形 - キハ500形・キハ504形 - キハ510形 - キハ540形 - キハ760形 - キハ810形 - キサハ70形客車 : ナハフ100形・ナロハ200形ディーゼル機関車 : DD501形蒸気機関車 : 1形 - 4形 - 5形 - 8形 - 5形II, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=関東鉄道キハ300形気動車&oldid=80439738, ドアステップ改造 - ステップ自体を除去するのではなく、段差の部分だけを鋼板で覆って、事実上のステップレスとした。, キハ350形は最後まで定期運用についていたキハ358+キハ3511の1編成が2011年9月をもって定期運用を終了する予定であったが、多くのファンの要望があり、10月上旬まで定期運用を延長し、10月9日に定期運用終了、10月10日にキハ350形 さようなら乗車会&撮影会(事前予約募集)を開催し、引退した。, キハ100形は2両とも2013年12月15日まで運転されていた。2012年12月に譲渡元であるJRにおいて久留里線で最後に運用されているキハ35系が新型車両に置き換えられたため、事実上キハ100形は定期運用される最後のキハ35系となったが、2017年1月のイベントをもって引退、筑西市にある「ヒロサワシティ」で保存されている。, キハ300形/キハ350形の一部の車両は、2015年にフィリピン国鉄に譲渡され、同国で運用についている。. みんなの鉄レコを見る, レイルラボに会員登録すると、鉄道乗車記録(鉄レコ)の記録、鉄道フォトの投稿・管理ができます。, 自社サイト「FlyTeam」「レイルラボ」では、サイトを一緒に運営していただけるスタッフを募集しています。 Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved.

【勇退☆只見線小出口キハ40系①】7/11ラストラン・キハ110系に置換えへ、惜別・国鉄型気動車 | 湘南軽便鉄道(Shonan.Lightweight.Railway), 沿線に大きな街のない山奥の長大ローカル線で、駅弁もなく、駅前での食料調達も困難な只見線。, 本来、只見線は、JR東日本仙台支社・郡山総合車両センターの国鉄型気動車が使用されるが、数年前の豪雨で会津川口~只見間不通で分断されているため、現在、小出~只見間は、JR東日本新潟支社・新津運輸区所属の国鉄型気動車を使用。ワンマン運転は行われておらず、全列車に車掌が乗務する。, 発車間際にJR上越線からの乗換え客がどっと乗り込み、地元客と観光客で座席はほぼ埋まり車内は賑やかな状態に。, 大白川駅を過ぎると、次は終点の只見駅だが、六十里越の峠を越えるため、距離20.8km、所要約30分もかかる。, 国道が冬季閉鎖される県境で、只見線だけ冬季も運行できるのは、この長いトンネルで峠を越えられるため。, 周囲に人家が一軒もない田子倉駅は冬季は営業しない究極の秘境駅であったが、2013年(平成25年)3月16日に廃駅に。, 只見線は、JR東日本仙台支社の管轄だが、災害で路線が分断されているため、只見側はJR東日本新潟支社(新津運輸区)の気動車で運行。, 只見線の写真集など、様々な只見線グッズも販売。俳優・六角精児がうたう只見線の応援歌CDも扱う。, 只見駅前からは、会津鉄道の会津田島行き路線バスが一日2便運行。会津田島駅までの所要は約1時間20分。, 『【勇退☆只見線小出口キハ40系②】7/11ラストラン・キハ110系に置換えへ、惜別・国鉄型気動車』, (前回記事の続き) 【勇退☆只見線小出口キハ40系①】7/11ラストラン・キハ110系に置換えへ、惜別・国鉄型気動車『【勇退☆只見線小出口キハ40系①】7/1…. 1990/09, 1986/11

Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. 国鉄キハ40系気動車(こくてつキハ40けいきどうしゃ)は、1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて日本国有鉄道(国鉄)が製造した気動車(ディーゼル動車)である。, これは国鉄の車両称号規程に則った制式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。具体的には、キハ40形(2代)、キハ47形、キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式を指す。, 1977年から1982年にかけて計888両が製造され、日本全国の非電化路線に投入された。電車に近い車体構造の気動車で、当時の在来気動車に比し、客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られている。一方、在来の気動車よりエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、運動性能はあまり向上していない。, 本系列は客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別され、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いと便所の有無によって番台区分される。国鉄分割民営化後は、1983年に指宿枕崎線の脱線事故で事故廃車となったキハ40-2055を除く887両がJR各社へ承継された他、使用線区の事情に応じた改造を実施し、区分番台が多くなっている。2020年時点ではJR東海を除く旅客鉄道各社が保有し、主に普通列車用として用いているが、JR東日本・JR四国・JR北海道では事故や災害、地方路線の運用見直しや、新型気動車への置き換えにより、廃車や保留車が発生している。, ※(JR東日本のキハ40形には元キハ40形のキハ48形700・1700番台5両、JR西日本のキハ47形にはキハ41形5両、JR四国のキハ47形にはキロ47形2両、JR九州のキハ47形にはキロシ47形2両を含む), 1950年代中期に量産された国鉄初期の液体式気動車であるキハ10系は、そのエンジンの非力さを軽量化で補う方針であったが、当時の技術との兼ね合いもあり、同時期の客車や電車よりも車体断面が小さく、接客設備や台車も簡素なものとなった。そのため、1970年代に入ると早くも陳腐化が顕著となりはじめ、特に座席と台車設計の不備による乗り心地の悪さは問題となっていた。キハ10系は台車の心皿荷重上限が小さく、重量増となる座席の交換や、ロングシート化(定員増 = 荷重増)が困難で、交換用台車の新製などの改造予算確保より新車製造予算の確保が優先され、1970年代後半まで抜本的な対策が講じられなかった。, 一方で1970年代の国鉄は労使紛争が激しく、組合側は労働環境の改善を強く要求していた。その一環として、国鉄車両にも安全対策や整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1950年代から1960年代にかけて設計された量産形式を基本に随所を改良したマイナーチェンジ車を製造し続けていた。本系列もその方針の下にキハ10系のほか、1950年代後半に製造されたキハ55系[注 1]とキハ20系の老朽化も視野に入れ、それらの代替用として開発された。, 本系列は、1974年に開発されたキハ66系をベースにしており、車体や制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造は同系を踏襲しているが、搭載機関は同系搭載の12気筒から、基本設計を共通化しつつ6気筒として出力を半分に落とし、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計としている。また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていたことから、暖房やラジエーターなど酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く[要出典]、温暖地で寒地向け車両が使用される場合は過剰装備となる[注 2]。, なお本系列ではそれまでの気動車のように北海道向け車両を別形式とせず、同一形式内での番台区分としたのも特徴である。, 全長21.3 m(車体長20.8 m)、幅2.9 mで既存の急行形気動車同等の大型車体である。酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して[要出典]外板、屋根板、床板には当時の鋼製車両標準の車両用耐候性高張力鋼板 (SPA) を用いて耐久性を向上させている。板厚は例えば同じSPAを使用した201系電車と比較すると、外板厚が2.3 mmに対して国鉄気動車標準の1.6 mm、屋根板厚は1.6 mmに対して1.2 mmと薄く、台枠に設けた軽量孔とともに軽量化に配慮している。製造当初の車体塗装は朱色5号(明るい朱色)一色[注 3]である。, 前頭部形状はキハ66系を踏襲し、踏切事故対策として高運転台化、運転室長さの350 mm拡大、前面の外板の4.5 mm厚への強化、床下前面へのスカートの装着をしている。運転台窓は運転席からの視認性に配慮して側面部に回り込んだパノラミックウィンドウとし、前照灯は前面窓上にRBS-24V形150/50 Wシールドビームが2灯、尾灯は在来形気動車よりも高い位置に40 Wのものが2灯、それぞれ左右に振り分けて設置され、貫通路直上には列車種別表示器が設けられている。この構成は設計年次が近いキユニ28形なども同様で、当時の標準設計であった。側窓は寒地形、暖地形は外はめ式のアルミ合金製2段ユニット窓として工数を削減している。一方、酷寒地形は小型の1段上昇窓で、FRP製窓枠による内窓を組み合わせた二重窓構造とし、冬季の車内保温を図っている。, キハ40形、キハ48形は車体両端2か所に1 m幅の片開き扉、キハ47形はやや車中央寄り2か所に1.3 m幅の両開き扉を設けており、いずれもステップ付の半自動扉である。ドアエンジンは両開き式はキハ45形と同じTK106形、片開き式はキハ46形と同じTK105形で、在来車のような半自動式用ではなく自動式用ドアエンジンの指令回路を変更して半自動動作としており、人力での開閉はやや重い。キハ40形、キハ48形の寒地・酷寒地形は客室と出入り台の間に仕切り扉を設けたデッキ付きとし、寒冷時の保温を図った。, 運転台は機器配置・座席形状とも人間工学に配慮した構造である。また、投入線区の運用実態に即し、側面にタブレットキャッチャーとその防護板を設け、タブレット閉塞式での通過運転に対応した。客室内壁の化粧板は、在来形気動車に比してやや明るい色調であり、初期の車両は、キハ40形・キハ48形は薄茶色、キハ47形は淡緑色であるが、中期以降の車両は、北海道・本州以南用ともクリーム色となっている。座席はボックスシートを基本としてドア付近にのみロングシートを配したセミクロスシートとした。ボックスシートはシートピッチをキハ58系までの急行形車両と同等の1,470 mmとし、一般形気動車として初めて人間工学を採り入れた新形状のものとした。このため、本系列はキハ45系のシートピッチ改善車のように見える構造に仕上がっている(ただし本系列は前述のとおりキハ66系をベースに造られており、キハ45系と本系列との間には近郊型電車の初期型車両とシートピッチ改善車のような関連性は無い。)。, 便所はFRPユニット組み立て式[注 4] で、キハ40形は出入り台側から内開き扉、キハ47形・キハ48形は側面の客室通路側引き戸から出入りする方式とし、水タンクは屋根上搭載の重力給水式として、ポンプや空気配管を不要としている。汚物処理装置は搭載を考慮して機器搭載スペースを確保する準備工事が実施されたが、当初は地方路線の汚物処理施設整備が進んでおらず、便所装備車は全車が従来通りの垂れ流し式であった。, 従来のDMH17系機関に代えてDMF15HSA形(連続定格出力220 PS / 1,600 rpm、連続定格出力時燃料消費率185 g/PS/h、最大出力250 PS/2000 rpm)を搭載する。この機関は水平シリンダー形の予燃焼室式直列6気筒機関であり、TB11B形排気タービン過給器を装備、補機類はCW750D空気圧縮機、DM99AもしくはDM99B形4 kVA交流発電機などで、いずれも歯車駆動としてVベルトを廃している。このエンジンの定格時燃料消費率は185 g/PS/hであり、旧来のDMH17系 (190 g/PS/h) と大差はないが、後にJR東海が機関換装を行った際には、燃費が換装前の71 %に改善[1]した事例がある。, この機関は、1963年に開発されたDMF15HS形の派生形であり、排気タービン過給器あり、中間冷却器なしの構成としたものである。, 変速・直結各1段のDW10形を装備する。これはキハ65形・キハ66系に搭載されたDW9形をベースにとしたもので、液体変速機の構成は在来標準形のDF115・TC-2形(3段6要素)に対して、DW4形・DW9形やDE10形用のDW6形(2000番台[注 5])などと同じ中高速での引張力を確保するとともに、エネルギー損失を抑制した1段3要素となり、クラッチはいずれも湿式多板式で、変速、直結が各3枚、逆転機が8枚の構成となっている。なお、変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転差を検出して機関の吹き上げ、アイドル指令を出し、最適な回転数で切り替える半自動式とすることでショックのない変速としたほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。 変速機油冷却は従来の空冷式から油冷却器による水冷式に変更となっているほか、変速機油は、従来のDF115・TC-2形では軽油を用いていたが、本形式では変速機内部の潤滑油を共用してシール機構の簡略化を図った。また、逆転機を台車に装架するのが困難な2軸駆動車用のDW9の構造を踏襲して逆転機を変速機内に内蔵し、台車側には推進軸の方向転換と最終減速段を受け持つ減速機を装架している。なお減速比は2.995と従来の一般形気動車よりもわずかに大きくされている。, 液体変速機の構成の違いにより、起動時の動輪周引張力はキハ20系(定格出力180 PSのDMH17C形機関搭載車。変速機としてDF115A形ないしはTC2A形を搭載)の2,500 kg弱に対して2,400 kg弱と低く、車両重量の増大と相まって「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。一方で、例えば10 km/hではキハ20系の約1,800 kgに対し約2,100 kg、50 km/hでは約600 kgに対し約800 kgと逆転しており[2]、当初特急・急行形用として開発された変速機の中高速域を重視した特性が表れている。駆動方式は1軸駆動で車両内側よりの第2軸を駆動しており、台車にキハ65形・キハ66系の第2減速機と共通[注 6] のGB122形減速機が装架されている。, 酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形空気ばね台車を採用した。一方、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルばね式のDT22D形・TR51C形を採用しているが、台車に逆転器を搭載しなくなった分、側梁を軽量化している。, DT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形は枕ばねを空気ばねとしたが、これは寒冷地域でコイルばねの間に雪が詰まって固着してばねが効かなくなる問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化[注 7]、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸ばねはコイルばねをゴムで被覆したいわゆる「エリゴばね」として、雪咬みを防止している。初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式で、荷重を軸箱直上の軸ばねで伝えるDT44形(動力台車)・TR227形(付随台車)であったが、以降は制輪子交換を容易にするため、軸箱支持方式を乾式円筒案内式としたDT44A形・TR227A形に変更された。枕ばねは保守面での制約などから、空気ばねを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなく、ボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気ばねを挿入するインダイレクト方式(国鉄では165系電車などに広く採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式)として基本構造をDT32系と共通化しており、空気ばね・ボルスタアンカ・LV4-1形空気ばね自動高さ調整装置などは同系列と同一もしくは一部変更品を使用している。枕ばねを横剛性の高いダイアフラム型空気ばねとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、DT22・TR51系コイルばね台車を装着する一般的な急行形気動車を超える乗り心地となった。また、各形式とも制輪子の自動隙間調整器によりブレーキシリンダストローク調整作業を省力化している。, キハ66系と同じく、12系以降の新型客車で実績のあったCL空気ブレーキに電磁弁を加えた「CLE空気ブレーキ装置」(C: 3圧式制御弁付、L: 応荷重装置付、E: 電磁弁付をそれぞれ示す)とした。これは従来型気動車の標準ブレーキ装置であったDA1系自動空気ブレーキのA動作弁に代えて三圧式制御弁 (KU-1B) を使用し、ブレーキ弁によるブレーキ管 (BP) の減圧と並行して各車のC13-4AまたはA14-4電磁弁を制御する、電磁自動空気ブレーキである。このCLEブレーキはDA1系と比較してKU1B制御弁により空気圧指令時のブレーキ応答性が向上し、BPの最大減圧量が1.4 kg/cm2から1.8 kg/cm2となってブレーキ制御範囲が拡大されたほか、U5A応荷重弁により荷重に応じブレーキシリンダ圧力が自動的に増減される。また、電磁弁の付加により空走・込め時間の短縮による列車衝動の緩和や保ち作用が可能となる、あるいは非常ブレーキ動作時の伝達促進が得られるなど、作動性や操作性、整備性、それに保安性が改善された。床下の制御弁関係はC26Aブレーキ制御装置として1つの機器箱内にユニット化し、電熱ヒーターを装備して凍結防止を図り、加えて直通予備ブレーキ装置と耐雪ブレーキ装置を装備している。なお、DA1系自動空気ブレーキやDAE1系電磁自動空気ブレーキを搭載する在来気動車とも相互に併結可能であるが、DA1系自動空気ブレーキ搭載車との混用の場合、電磁弁が使用不能となるため最大連結両数に制約が生じ、ブレーキの応答性能も低下する。, 暖房はキハ20系の後期製造車やキハ45系の温水暖房式から、一部のバスでも採用されている温風暖房式となった[3]。これは、機関冷却水を床下の熱交換器に通し、ここに外気および室内空気を通して温風として車内に循環させる方式である。また、気温が低い時、下り勾配、停車時など、機関の廃熱だけでは冷却水温が上がらない場合には、機関始動用のWH250B形機関予熱器[注 8]を使用して機関冷却水を加熱するが、外気温が0度程度までであれば機関予熱器の使用は不要とされている[2]。1両あたり2基搭載された重量125 kg、放熱器水容量14.3 Lの熱交換器により暖房能力は公称30,000 kcal/hとなり、従来の軽油燃焼式温風暖房に比して著しく強力な暖房能力を得た[要出典]。また、機器搭載に床下スペースを必要とするが、温水管を車体内に引き通す必要がなく、構造も単純であった。加えて運転室内に自動車用温水暖房装置であるWH33形が運転席側、助士席側に各1基ずつ設置されている[注 9]。, 一方、冷房装置は製造時には設置されず、準備工事も見送られた。当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると判断されたほか、本形式のDMF15HSA機関は、DMH17系と比較して2割程度の出力増であるが、車両重量が大型化や事故対策などで増加したため、満足できる走行性能が得られず、そのため、自重増となる発電セットの搭載や機関出力を低下させる直結式冷房装置の搭載が困難であったことも理由である[注 10]。, 本系列の初回生産グループである昭和50年度3次債務車は、各車間で各種電気信号の伝達を行うために用いるジャンパ連結器として、在来の一般形気動車と共通の制御用KE53形(接点数15)を2個と放送回路用KE66形[注 11] を1個、それに電磁自動空気ブレーキ指令用のKE67形[注 12] を1個の計4個のジャンパ連結器を実装していた。冷房装置を備えない一般形気動車ではこの4個のジャンパ連結器が、冷房搭載の急行形気動車ではこれに加えて冷房制御用のKE53形1個と高圧電源供給用のKE8形(接点数8)1個が装備される。, しかし、技術の発達に伴って後追いでジャンパ連結器を追加していった結果である、芯線数の少ないジャンパ連結器を多数接続するこの構成は、複数の異なった形式を併結するために必要であったが、増解結作業が煩雑となり、保守上も部品点数が増えて望ましくなかった。このためそれら全てを、本系列の設計の基本となったキハ66系で2両ユニットの連結面間に使用されていた[注 13]、新世代の多芯ジャンパ連結器であるKE91形[注 14](接点数90)へ集約・置換することが検討され、2回目の生産ロットとなった昭和52年度1次債務車ではその準備工事として、妻面向かって左下に大きな縦長の窪みを設け、将来ここにKE91形を格納する計画とした。, その後、昭和53年度本予算車ではジャンパ連結器格納用の窪みはそのままに、新たに設計されたKE93形[注 15] 1個で従来のKE53形2個を置き換えるように計画が変更された。KE93形には在来の気動車との併結を考慮して、KE94形アダプタ[注 16] が用意され、これをKE93形にボルトで固定することで、KE53形2個を備える一般形気動車と併結可能としている。, なお、KE53形2個の接点数は合計で30であるため、接点数61のKE93形では多数が空き接点となる。これはKE66・67形相当の信号線の割り当て予約など、将来的な割り当て数の増加を見越して接点数に余裕を持たせたためであり、KE93形をKE94形を併用せずに単独で使用する際には、KE66・67形や冷房用のKE53形1個の接続が不要となる。, キハ40 6307KE94形アダプタを外し、KE93形ジャンパ連結器(蓋を赤色塗装)を直接使用可能とした状態, 本系列ではあらゆる面で刷新が行われたが、丈夫な構造と追加装備は重量増加の原因となった。自重36 tから37 t、断熱材補強など酷寒地対策を施した車両は約40 tにも達する。, 本系列による代替の対象となったキハ10系は1機関搭載車で自重が28 tから32 t程度、同様の構成のキハ45形が33.0 tであるのに対し、キハ47形0番台が35.5 - 35.6 t(いずれも全長21.3 m、片運転台、トイレ付、両開き2扉、暖地向け)、キハ24形が34.5 tに対しキハ40形100番台が36.8 - 37.6 t(いずれも全長21.3 m、両運転台、トイレ付、片開き2扉、酷寒地向け)であり、これと比較すると1割から2割程度自重が重いことになる。これに対し、搭載機関の連続定格出力は220 PSで動輪周引張力は例えば10 - 55 km/hの速度域では約15 - 45 %高いものである[2]ため、単位重量あたりの出力ではキハ10系とキハ20系の1機関搭載車とおおむね同等、2機関搭載車のキハ51やキハ52などには劣るものであった。, 勾配の程度にもよるが登坂時には全出力状態でも従来の気動車同様30 km/hを下回ることも少なくない。本系列(暖地向け車)を使用した普通列車の速度種別設定は「停気F1」で、10パーミル勾配における均衡速度は51 km/hにとどまる。電化区間へ乗り入れる場合は、電車に比べ甚だしく加速力が劣るため足並みが揃わず、ダイヤ組成の障害になった。1980年代後期から1990年代にかけて、曽根悟らの識者からはこの過重量と出力不足が批判された。, 発車時には、全負荷状態でも機関が轟音を立てるばかりでなかなか動き出さず、DW10変速機が在来の3段6要素変速機よりも発進時に不利な特性ということもあって、液体変速機を長々と空転させた末に数拍おいて動き出す状態であった。中速域においても、変速機の特性を生かすには、同系変速機を搭載するキハ181系やキハ66系などと同様変速段を使用して65 km/h付近まで5ノッチで引っ張る運転操作が求められたが、通常45 km/hで変速-直結の切替を行なうTC2A・DF115A形変速機搭載の車両と併結した際や、DMH17系機関搭載車の運転に慣れていた運転士が運転する場合には、1段3要素の変速機の特性を活かしきる前に例えば50 km/h程度で直結に切り替えられてしまうと、変速段で約800 kgあった動輪周引張力が直結段では約500 kgとなってしまうなど、性能を出し切れない場面が多く見られた。, DMF15HSの定格時燃料消費率は185 g/PS/hであり、旧来のDMH17系 (190 g/PS/h) と大差なく、後年のDMF14HZA (154 g/PS/h) などの直噴機関と比べると燃費は悪い。また過熱防止のため全出力運転が5分までに制限されるDMH17系と異なり、DMF15HS系は全出力運転の時間制限がなかったため、運行中はほぼ全出力で運転できてしまい、かえって燃料消費量も増加した。後にJR東海が機関換装を行った際には、燃費が換装前の71%に改善[4]した事例がある。DMH17系機関を1基搭載する車両の代替は可能であったが、加減速の多い仕業や勾配路線向きの形式は製作されなかった[注 17][注 18][注 19]。, 片運転台のキハ47形とともに本系列の主軸となる両運転台車で、両運転台の直後2か所に片開き扉を装備し、新製時は全車がトイレ付きであった。番台区分に0番台(1 -)が存在しないのは、かつて旧形客車を気動車化改造したキハ40形(初代。後にキハ08形に改番)が存在していたためである。, 北海道用の酷寒地向けとして1977年上期から製造された、暖地向けのキハ47形とともにキハ40系では最初に就役したグループである。, 車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓、便所、空気ばね台車を装備する。床材は北海道向け従来形式のキハ24形などの鋼板+木材板張りから、1.2 mm厚SPA鋼板と断熱材+リノリウム張りに変更されている。1982年までに150両 (101 - 250) が製造された。, 1977年製の16両 (101 - 116) のみ、角型水タンク、4人掛けクロスシート12組[注 20]、客室の小窓が両端配置、客室の化粧板が薄茶色、台車は、軸箱支持装置がペデスタル式の空気ばね台車であるDT44・TR227、などの特徴を持つ。1978年以降に製造された117 - 250は設計が変更され、4人掛けクロスシート12組+2人掛クロスシート2席[注 21]となったほか、水タンク、窓割り、外気導入ルーバー、スカート形状がキハ40形2000番台一次形車と同様になった。客室の化粧板はクリーム色になり、台車はDT44A・TR227Aに変更された。, 1988年に9両 (141 - 149) がキハ400形に改造され、残りの車両も1990年から1995年にワンマン化改造で700番台に改番され、廃区分番台となった。, 主に東北地方を対象とした寒地仕様で、1977年末から製造された。デッキ付きで上段下降・下段上昇式のユニット窓と空気ばね台車を装備する。1982年までに94両 (501 - 594) が製造された。, 初期に製作された501 - 520はDT44・TR227台車を装備し、車内の化粧板は淡緑色である。521号車以降は窓の配置や座席配置が変更され、車内の化粧板がクリーム色系、台車がDT44A・TR227Aに変更され、スカートの形状も変更された[注 22] 。, 520以前の初期車両は譲渡[注 23]や淘汰が進み、2020年3月13日まで磐越西線及び只見線運用に充てられていた郡山総合車両センターの502のみが運用されていた[5][注 24]。, 関東以西の暖地向け仕様で、1979年(昭和54年)に製造が開始された。窓は外バメのユニット窓であるが113系電車1000番台などと同じ2段上昇式である(このため500番台と比べて四隅に丸みがついておらず、天地寸法が小さく、車体よりやや奥まっている)、車内の化粧板はクリーム色系で、デッキは装備されていない。当初キハ47形を両運転台式としたキハ41形が計画されていたが、便所と暖房用ダクトの配置が困難であるため、キハ40形500番台に準じた車体で製造されたものであり、このため片引き戸でありながらキハ47形の「両運転台版」という性格も併せ持つこととなった。台車は金属ばねのDT22D・TR51Cである。1982年(昭和57年)までに148両 (2001 - 2148) が製造された。本来は暖地仕様だが、一部の車輌が男鹿線、只見線など寒冷地で運用されている(2015年〈平成27年〉までは石巻線でも運用されていた)例もある。JR西日本に承継された車両の一部は「ベル・モンターニュ・エ・メール」仕様や「天空の城 竹田城跡号」仕様に改造されている。, このうち、1980年(昭和55年)製のキハ40 2055 は1983年(昭和58年)6月に起きた指宿枕崎線沿線の集中豪雨が原因の事故によって大破し、同年7月付で廃車された。これは国鉄時代の本系列唯一の廃車である。, 1.3 m幅の両開き扉を車体中央寄り2か所に配置した、いわゆる「近郊形」のレイアウトで、客室窓は2段上昇式ユニット窓、デッキは装備せず、北海道向けの酷寒地仕様も存在しない。キハ40形、キハ48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、仕向け地とトイレの有無による番台区分がある。車内の化粧板はクリーム色系だが、初期に製造されたキハ47 1 - 16は緑色系である。, 暖地向け仕様で、金属ばね台車装備。トイレ付きの0番台車は1977年上期に製造が開始された。1983年までに193両 (1 - 193) が製造された。トイレなしの1000番台車は1978年から製造が開始された。1982年までに134両 (1001 - 1134) が製造された。この暖地向けキハ47形327両が本系列の最大グループである。, 新潟地区向け寒地仕様で、空気ばね台車装備。1978年から1980年にかけてトイレ付きの500番台車22両 (501 - 522) とトイレなしの1500番台車21両 (1501 - 1521) が製造された。本来は寒地仕様だが、国鉄時代に越後線と弥彦線の電化に伴い四国や中国、九州など温暖地に転じ、そのまま運用される例もある。なお、中国地方の山間部の中には東北上信越なみの寒冷地および豪雪地帯も存在する(庄原市など)。, キハ40形と同等の車端部片開き2扉配置だが、片運転台であり、便所の有無や耐寒仕様による番台区分があるが、暖地仕様の車両は存在しない。 便所は運転台のない側の車端デッキ寄りに設置されている。, 500・1500番台と同一車体・デッキ仕切り付きながら金属ばね台車装備とした準寒地向けで、1981年から1982年にかけて便所付きの0番台車が6両、便所なしの1000番台車が4両製造され、美濃太田 (1 - 3・1001・1002) と敦賀 (4 - 6・1003・1004) に配置された。, 敦賀に配属された車両は1991年に小郡(現・下関総合車両所新山口支所)へ転出し、そのうち5・6・1003の3両が2003年に岡山へ転出、6・1003は2010年3月31日付で廃車となった[6]。2018年4月1日時点では、下関から金沢総合車両所富山支所に転属し「花嫁のれん」に改造された4・1004のみが在籍する[5]。, 北海道向け酷寒地仕様で、1982年にごく少数が製造された。デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はキハ46形とも類似する。輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくく、便所付きの300番台車は4両 (301 - 304)、便所なしの1300番台車は3両 (1301 - 1303) の製造に留まった。, 304と1300番台全車が1988年にキハ480形に改造され、1300番台は廃区分番台となった。また、301 - 303の3両は、JR北海道に承継された後、2012年6月1日のダイヤ改正で札沼線(学園都市線)の一部区間が電化されたため運用から外され、3両ともミャンマー国鉄に売却されて300番台は廃区分となった[7][8][9][10][11][12][13]。, キハ40形500番台と同様の寒地仕様車で、1979年から製造が開始され、1982年まで増備された。デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備している。便所付きの500番台は59両 (501 - 559)、便所なしの1500番台は50両 (1501 - 1550) が製造された。主に東北地区や飯山線、高山本線に投入された。, 車齢が若かったこともあり、国鉄時代に行われた改番を伴う改造は、キハ40形1000番台のみである。また、冷房改造は鹿児島地区のみで実施された。, 指宿枕崎線で運用する本系列に対し、降灰対策のためバス用独立機関式クーラーのトヨタ2Jと自動車用車内放熱器のRH21を用いたAU34による冷房化を、1986年から1987年にかけてキハ40形5両およびキハ47形10両に実施した。, 1983年製のキハ37形に搭載したDMF13Sの実績に基づき、本系列のDMF15HSAについても直噴化と電子ガバナ化改造を実施した。試作として、キハ40 109およびキハ47 47、48、1034が改造され、試験の結果16 - 20 %程度の燃料節減となったため、その後1987年までに北海道配置のキハ40系112両が改造された。, 烏山線向けに暖地向け2000番台からトイレを撤去するなどの改造を行ったグループで9両が改造された。1001-1007は国鉄が1986年11月末から翌1987年3月末の間に、1008と1009はJR東日本が1991年と1995年に各1両を改造した。改造時期やその後の改造などにより形態には差異がある。, キハ40 1001-1007:1979年4月から5月に宇都宮運転所へ新製配置し烏山線で運用していたキハ40形2000番台(2011-2020)のうち水戸運転所へ転出した3両(2018-2020[注 25])を除く7両 (2011-2017) を改造・改番。改造工事は大宮工場で施行した。トイレの撤去により定員は98名となったが、撤去したトイレ部分の小窓と屋根上の水タンクが存置された。塗色は烏山線独自のローカル色(白(クリーム10号)地に緑色(緑14号)でr字様帯模様の2色塗装)に変更されている。国鉄分割民営化後は全車JR東日本に承継された。, 民営化後の1990年3月に1006を除く6両についてワンマン運転(後乗り前降り)対応改造と座席のロングシート化工事を施行し定員が144名に増加した。同時に車内案内自動放送装置、外部スピーカー、乗降口案内表示器が設置され、客室は旧トイレ部分の小窓をそのまま固定化して座席および網棚、吊手を延長し、ロングシートの中央部の排気管立ち上がり部分には消火器とくず物入れを設置した。更に1995年から1996年にかけて冷房装置 (サブエンジン式のAU34) を搭載して網棚上4か所にクーリングユニットを装備し、水タンクとその横にあった通風器が撤去された。乗降扉の半自動対応改造(乗降扉横に押しボタン式のドア開閉装置、ドア開閉時チャイム音)も行われた。機関換装は行われていないが、1001、1002、1004、1005の4両は燃料直噴式に改造(DMF15HSA-DI、出力230 PS / 1600 rpm)された。, ワンマン化されなかった1006は、耐寒耐雪改造を受け東北地区に転出した。その後更に2004年に秋田総合車両センターでリニューアル工事が行われ、烏山線に残留した同番台車とは下記のように仕様が異なっている。, キハ40 1008:1991年8月に、高崎運転所のキハ40 2087を改造。他の1000番代と異なり旧トイレ部に他の客室窓と同様のユニット窓が設けられている。また高崎時代にAU34を搭載して冷房化されており、室内はクーリングユニットではなく天井に冷房用ダクトが設けられている。水タンク横の通風器が残る他、床下機器配置も異なっている。機関は燃料直噴式へ改造(DMF15HSA-DI、出力230 PS / 1600 rpm)された。, キハ40 1009:1995年12月に水郡線営業所のキハ40 2139を改造。水郡線時代にAU34による冷房化とワンマン化改造を受けため、1008同様に水タンク横の通風器が残っている他、室内も冷房用ダクトが天井に設けられている。ただし旧トイレ部の窓はトイレ時代の小窓のまま固定化されており、ワンマン化時期の関係で外部スピーカーと乗降口案内表示器の位置も他車と異なる。機関は原形のまま。2017年に錦川鉄道へ譲渡された[14]。, 北海道旅客鉄道(JR北海道)には、キハ40形100番台150両とキハ48形7両(300番台4両・1300番台3両)の計157両が承継された。全車が酷寒地形で、キハ47形は国鉄時代から配置されていない。, キハ48 301 - 303を除く全ての車両には、ワンマン運転対応・機関換装・冷房装置搭載など、線区の事情に応じた改造が実施され、改番が行われた。キハ400形・キハ480形を除く各車共通の改造点としては、電磁ブレーキ制御用のKE67形ジャンパ連結器の撤去と、ワンマン運転時および客用扉の半自動扱い時に共通で使用する、KE67形ジャンパ連結器の増設[注 27] が挙げられる。, なお、2017年度にローカル線用気動車の量産先行車の製作に着手し、老朽化した本系列を2019年度以降順次置き換えていくという方針が発表された[15][16]。また、2016年春をめどに、状態が悪い車両を廃車し、運行本数も削減する予定である[17]。, 宗谷本線の高速化に向け、急行「宗谷」・「天北」・「利尻」に使用されていた14系客車[注 28]を置き換えるため、経年の浅かったキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を1988年(昭和63年)に急行列車用に改造したもの。それぞれ車番は改造前から変更せず、形式称号がキハ400形・キハ480形に改められ、両形式を総称してキハ400系ともいう。, 特急列車が多くダイヤ密度の高い函館本線での高速運転や、宗谷本線の勾配区間での優等列車運用に対応するため、機関をキハ183系550番台・1550番台でも採用されたDMF13HZ (330 PS / 2,000 rpm) に、変速機は同時期に製造が始まったJR東海キハ85系気動車やJR東日本キハ100系気動車などに採用された多段式のN-DW14B形(3段6要素・変速1段・直結2段)に交換。特急用気動車と遜色ない出力と加速力の向上を図った。この刷新された動力系により、名寄駅で増解結作業が増えたにも関わらず、客車時代よりも約40分のスピードアップを達成した。, 客室のアコモデーションも14系客車に遜色ないものに改められた。座席はキハ183系500番台と同等のリクライニングシートへ交換され、横引きカーテンや窓框に縁取りが設けられた。ただし窓配置がキハ40・48時代のままのため、窓と座席の間隔は一致していなかった。キハ400形については便所を改良して隣に洗面所を新設した。キハ480形は種車が便所付きだった304も撤去して全車便所なしとしている[注 29]。また屋根上にインバーター式の冷房装置(N-AU400)1基を搭載して冷房化したが、機関直結式ではなく、キハ400形客室内の床上に設けた機器室内に設置した発電用電源エンジンにより、キハ400形自車とキハ480形へ三相交流220 Vを給電して稼働させる独立機関式とした。そのためキハ480形単独では冷房装置を使用できなかった。, 外観はグレー系のツートーンカラーに赤の細帯という独自の塗装に変更された。また先述のように窓配置は変更されていないものの、キハ400は先述の改造によりトイレの隣の窓1つは洗面所スペースとして埋め込まれ、反対側は発電用機関スペースとなった窓2つ分が同様に埋め込まれてルーバーが増設され、使用列車名をあしらったエンブレム状のロゴが塗装で表現されていた。定員はキハ400形が48名。キハ480形は当初68名だったが、後に飲料水の自動販売機が設置され66名に減少した。, 全13両で予備車が少なく、またキハ400形が機関室・便所・洗面所付き両運転台車で定員が少ないため、多客期はキハ56系やキハ54形などが増結されていた。その後、老朽化したお座敷気動車を置き換えるため、1997年(平成9年)にキハ400形100番台3両がお座敷気動車に改造されて500番台に改番され、代替はキハ182形が改造の上転用された。急行用として残った10両は、2000年(平成12年)3月11日のダイヤ改正まで使用されたが、このダイヤ改正で宗谷本線高速化完成に伴う急行の特急格上げに伴い定期運用から外された。うち9両は同年夏に学園都市線(札沼線)用の一般車(キハ40形330番台・キハ48形1330番台)に再改造されたが、キハ480-304は転用されず、2006年(平成18年)10月6日付で廃車された。, 老朽化したお座敷気動車(キロ29形・キロ59形)を置き換えるために、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて前述のキハ400形100番台3両をお座敷車に改造したものである。同時期に改造されたお座敷車のキハ183系6000番台と同様、一般車と併結して運用することが可能である。, 客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装は黒、深い赤、暗い灰色のブロックパターンに改められた。客室は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ30 cmの掘り炬燵構造としているが、乗客が足を伸ばしてくつろげるよう床面をフラットにすることも可能である。2003(平成15)年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施された。2015年(平成27年)3月31日付で2両(502・503)が廃車され、残った501も同年11月に解体され、キハ400形は形式消滅した。, 1990年から1994年にかけてキハ40形100番台にワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造された。番号は1次車 (101 - 116) が種車の車両は元番号に725を足した連番、その他の竣工順の付番とされている。, また、17両が都市近郊輸送に対応するため、旧番号時代の1991 - 1992年に座席を2+1人掛けに改造している。番号は次のとおり。, 後に、機関の換装などにより一部が300・350・400番台に改造されたほか、789は改番前の150号時代の1988年に機関をキハ400形と同じDMF13HZに、変速機をN-DW14Bに換装しているが、番号上は区別されていない。DMF15HSAのまま機関の直噴化改造を施工された車両があり、その車両はエアクリーナーが移設されたため、車体側面の機関用吸気口が塞がれている。循環式汚物処理装置の取り付けが進んでおり、屋上の水タンクを撤去し車内設置に変更した車両も存在する。, JR移行後は、地域色を除き外板色が白地に萌黄色と青の帯に統一されていたが、2010年4月に、釧路運輸車両所所属の777が首都圏色(朱色5号)に変更された[18]。, キハ40 826(旧キハ40 101)角型水タンク装備(2009年5月 釧網本線緑駅), キハ40 737(旧キハ40 162)水タンク撤去と機関直噴化改造施工済(2009年8月 釧路運輸車両所), キハ40 789(旧キハ40 150)DMF13HZに換装済み(2010年7月11日 函館本線長万部駅), キハ40 764(旧キハ40 230)映画撮影用に改造後の姿(2004年4月26日 石北本線遠軽駅), キハ40 777(旧キハ40 248)首都圏色(2011年8月24日 根室本線新得駅), 1996年に学園都市線(札沼線)の増発のため、同線での運用に対応する改造をキハ40形700番台4両に対して行った[19]。, 機関はN-DMF13HZB (330 PS / 2,000 rpm) に換装され、出力増強が図られた。サービス向上のため機関直結式冷房装置 (N-AU26) やトイレの汚物処理装置を搭載、混雑緩和対策としてシートが2+1人掛けとされた。客室とデッキの間の仕切り壁が撤去されたことにより車内の保温が困難になるため、ボタン開閉式の半自動ドアを装備している[19]。本番台は全車が苗穂運転所に配置され、同じく同所配置で札沼線(学園都市線)で運用されていたキハ141系気動車と共に、車体地色がライトグレーとなっている。改造時にワンマン設備を外したため、札沼線一部電化後は定期運用がなく予備車扱いになっている。, 1996年に札沼線石狩当別 - 新十津川間のワンマン化と、同区間で運用していたキハ53形500番台の老朽化による置き換えのため、キハ40形700番台2両を改造したものである。, キハ53形500番台は閑散ローカル線での1両運行実現と降雪時の排雪抵抗増に対応するためにキハ56から改造された両運転台・2機関車であった。それを置き換える本番台は必然的に大出力化が求められ、ほぼ同時期に改造されたキハ143形と同様にキハ150形気動車の駆動システムを基にして、それまでの改造車よりも更に強力な動力装置を搭載しているのが特徴である。機関はN-DMF13HZD (450 PS / 2,000 rpm) 、変速機は直結2段式のN-DW14Cとキハ143形と同じ組み合わせを採用し、キハ40標準型の2倍強の出力を得た。台車はキハ143形と違い改造前のものを流用しているが、出力増大に伴い動力台車は2軸駆動に改造され形式名がN-DT44Bとなっている。またデッドマン装置に代えて緊急列車停止装置を搭載した。冷房装置は搭載していない。外観上は客用扉を萌黄色として区別している[20]。, 日高本線でキハ40形700番台を置き換えて使用されていたキハ130形が車体構造が原因で早期に老朽化したため、これの置き換えのために1998年から1999年にかけてキハ40形700番台10両を改造して再投入したもので、愛称は「優駿浪漫」である。, キハ130形時のダイヤを維持するため機関をN-DMF13HZB (330 PS / 2,000 rpm) に換装して出力を増強し、落ち葉などによる空転対策のため砂撒き装置を台車に装備している。学園都市線用の300番台とは異なり車内の改造は行わず、冷房装置も搭載されていないが、外板塗装は白地に青とピンクを配した独自のものに改められている。, 基本的に日高本線の列車で使用されているが、2015年以降における同線の一部区間不通・バス代行に伴い室蘭本線など近隣線区でも運用されている。, 2000年の宗谷本線急行の特急格上げに伴い、余剰となったキハ400形100番台・キハ480形1300番台を学園都市線に転用するために再改造したものである[19]。, 通勤・通学用への転用に伴い、711系電車の廃車発生品を用いて座席を全てロングシートとした。また客室・デッキ間の仕切り壁や引戸を撤去し、かわりにボタン開閉式の半自動ドアを装備している。300番台と同様、この両番台も外板色はライトグレーとした。キハ400形は床上の機器室内に設置した電源用機関、その向かい側の洗面所を撤去[注 30]して客室とし、機器室跡に窓を1か所再設置[注 31]し洗面所側は窓無しとした。電源装置の撤去により冷房用電源がなくなるため、両番台とも、キハ40形300番台同様の機関直結式冷房装置のN-AU26に交換され[19]、従来、冷房用電源の関係でキハ400形とペアで使用されていた キハ480も単独での運用が可能となった。新たに設置された冷房装置の、圧縮機から屋根上の本体に至る配管と配線は客室内の中央付近の側面を通るため、この部分でロングシートは分断され、約2人分のデッドスペースを生じているほか、キハ400形・キハ480形時の装備であった横引きカーテンのレール覆いや、窓框の縁取りが残されている。, 2012年10月27日に学園都市線の桑園駅 - 北海道医療大学駅間の列車が全て電車に置き換えられて一部の車両が余剰となった。このうち、キハ40 334・335とキハ48 1331 - 1333は海外譲渡のため同年11月下旬から12月上旬にかけて陣屋町駅まで甲種輸送された[21][22][23]。, キハ40 336(2006年11月2日 函館本線苗穂駅)トイレの隣(洗面所跡)に窓がない, 後の長期使用を見越し、キハ40形700番台に延命改造を実施したものである。2003年度から11年程度をかけて全車に施行される計画で、2013年4月時点で84両に施行され、このうち、キハ40 1795が函館運転所構内の脱線転覆事故で2007年3月7日に廃車になったため、苗穂運転所に5両、苫小牧運転所に18両、釧路運輸車両所に24両、函館運輸所に20両、旭川運転所に16両の計83両が配置されている。改造内容は、駆動用機関のN-DMF13HZI (243 kW (330 PS) / 2,000 rpm) 、液体変速機の直結3段式 (N-DW40) への換装、その他の付随する機器の交換、客室の床材の張替え、天井にある扇風機をラインフローファンに交換、ワンマン運転用機器の更新のほか、屋根上の水タンクの撤去と車内への移設などである。改造車の番号は原番号に1000が加えられている。, 函館運輸所の1792と1796が2004年・2005年の「大沼バーベキュー号」の動力車として、ナハ29000形に合わせた茶色塗装に変更されたが、その後JR北海道標準色に戻っている。2010年4月に、釧路運輸車両所所属の1749と1758が首都圏色(朱色5号)に復元された[24][25]。, 2016年3月には、江差線の道南いさりび鉄道への転換に伴い、9両が同社へ譲渡された。(#道南いさりび鉄道も参照), 2018年には4両が「北海道の恵み」シリーズとして順次改造を受け運行を開始した。また2019年には2両が「山紫水明」シリーズとして改造を受けた。, キハ40 1749とキハ40 1758 首都圏色(2012年9月23日 釧網本線摩周駅), 屋根上の水タンクが撤去された様子(キハ40 1755、2010年1月17日 根室本線厚内駅), 客室に設置されたクールファン(キハ40 1749、2008年4月29日 根室本線普通列車車内), 1999年に映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影用として、当時釧路運輸車両所に所属していたキハ40 764に改装を施した。同作品に登場するキハ12形に近い外観のキハ22形は既に定期運用がなかったため、キハ40形700番台が改造対象となったものである。キハ40 764は旧キハ40 230[26]で、キハ12形に似せて側窓部の外板に横桟を入れて分割し上部をHゴム支持としたいわゆる「バス窓」風に、前面のパノラミックウィンドウを平窓に、前照灯を貫通路上部の1灯式に改造。塗装で経年劣化した状態を表現したほか、形式番号の標記は「キハ12 23」(実在したキハ12形の最終番号の次の番号)とした。映画撮影終了後の2000年3月に旭川運転所に転配。前照灯をシールドビーム2灯[注 32] に改め、本来の形式記号・番号標記を1、4位側扉点検蓋上方に小さく追加標記した以外はそのままの姿で「ぽっぽや号」として観光目的の臨時列車に用いられたが、集客の低下に伴い石北本線でのローカル運用に充てられたのち保留車となった。側面の改造で車体の老朽化が進み、前照灯と窓の変更により運転環境も悪化していたため、2005年6月24日に気動車の余剰整理を機に廃車された。廃車後は車体が2分割され、前位側先頭部がロケ地の幾寅駅前に保存されている。, 2018年2月に発表された改造車両。沿線活性化を目的とし、北海道の地域(道北・道東・道南・道央)をイメージした外装や、木目の床・木材を使用した背もたれなどが導入されている[27][28]。, JR北海道は「北海道の恵み」シリーズの好評を受け、同様にキハ40形の改造により、観光列車として運行可能な車両2両を導入することとなった[29][30]。, 2019年9月には「山明」号を公開[31]。キハ40 1790からの改造車で、外観は広大な大地をイメージした深い緑色となっている[32]。座席には木を用いたほか脱着式のテーブルも取り付けられ[32]、普通列車としての運用時はテーブルを外す[33]。, 2019年10月には「紫水」号を公開[34][35]。キハ40 1791からの改造車で、外観やモケットの色が「山明」号の緑に対して「紫水」号は紫となっている[35]。, 東日本旅客鉄道(JR東日本)には、キハ40形117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両が承継された。, 民営化後の高出力車キハ100系・110系導入により、収容力は大きいが機関出力の小さいキハ40系気動車は比較的平坦でワンマン運転に適さない線区に配置されている。他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置の搭載、機関の直噴化改造や換装も実施されている。秋田地区の男鹿線用車と新潟地区の羽越・磐越西線で運用される車両には、更新時に混雑対策としてロングシート化とデッキ仕切りの撤去も実施された。なお、秋田車両センターのキハ40形にはデッキの仕切りがある車両と無い車両が混在している。, 八戸線で運用されていたキハ40 516 - 518とキハ48 539・556 - 559は(垂れ流し)トイレが撤去され、器材室に変更され、ドアに「器材室」「トイレは他の車両です」と表示されている。形式もしくは番号の変更を伴う改造は、前述のキハ40形1000番台2両とジョイフルトレインへの改造にともなう8両のみであるが、ジョイフルトレイン(イベント用列車)への改造は多く、現在までに8タイプが登場している。, 同社では2006年(平成18年)4月までにキハ40形13両とキハ48形2両の計15両が余剰により廃車となっている。2002年(平成14年)に廃車されたキハ40 511は会津鉄道に譲渡の上で展望気動車「風覧望(ふうらんぼう)」(AT-400形401)に改造され、本系列初の譲渡例となった。, 2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災による津波により、キハ48 502・1512(石巻線女川駅停車中の1639D)[36]、キハ48 552・1544(気仙沼線松岩駅 - 最知駅間の2942D)[36] が流出し大破、廃車になっている[37]。, また、女川駅隣接の温泉施設「ゆぽっぽ」に1両(旧キハ40 519)が保存され、車内を畳敷きとした上で休憩室として利用されていたが、こちらも津波で流され大破している[38]。, 製造から40年が経過して老朽化が顕著になったことから、平成30年より本格的な淘汰が進んでおり、キハ47形は2020年(令和2年)3月を以って運用を終了した。, 1987年から1988年、および1995年に前述のキハ40形1000番台6両を含む計26両にサブエンジン式のAU34による冷房化改造が実施されている。床下の熱交換器を撤去して冷房装置を搭載するもので、1987年から1988年にかけて改造された車両は室内熱交換器を床下に設置する方式、1995年に改造された車両は荷棚部に室内熱交換器を設置する方式である。その後1995年以降、南秋田運転所、小牛田運輸区、新津運転所の計113両は機関直結式のAU26J-Aによる冷房化改造が実施された。, 前述の機関直結式AU26J-A冷房装置の設置などと合わせて機関をカミンズ製DMF14HZ (350 PS / 2,000 rpm) へ交換する改造が実施されている。なお、JR他社における改造の事例と異なり液体変速機はDW10のままのため、機関出力を300 PSに下げて使用されている。, 1995年に水戸支社でキハ48 534・548およびキハ40 2138をお座敷車に改造したもので、それぞれキロ48 1・2とキロ40 1に改番され、編成としては「漫遊」と命名された。2000年に仙台支社に転出し、「ふるさと」と改称されている。, キロ48 1には「華 (HANA)」、キロ48 2には「風 (FU)」、キロ40 1には「月 (GETSU)」の愛称が付され、車体はそれぞれ日本の伝統色である緑・紫・紅を基本色とし、その下部に金色を配して華やかさを演出している。改造当初はグリーン車であったが、2003年4月に普通車に変更され、キハ40 2501とキハ48 2501・2502に改番され、新番台2500番台が成立した。, 2016年8月28日の団体臨時列車をもって運用から外され[39]、同年9月7日付で廃車された[40]。, 臨時快速列車「リゾートしらかみ」(秋田駅 - 弘前駅・青森駅)に、キハ40系改造車両が使用されている。, 1997年3月の秋田新幹線開業に伴い、1990年から五能線で運転されていた50系客車による眺望列車「ノスタルジック・ビュートレイン」に代わる新しいリゾート列車として改造された列車である。2003年の姉妹車「ブナ」編成の登場に伴い、「青池」編成と命名された。, キハ48 533・540・1521・1543を改造したもので、いずれも原番のままである。1・4号車の533と540は展望ラウンジ付きの座席車(回転リクライニングシート)、2・3号車の1521と1543は6人または4人用の簡易個室車とし、同時に冷房装置 (AU26J-A×2) を搭載、機関をDMF14HZ (300 PS / 2,000 rpm) に換装している。外観では、1・4号車の前頭部形状を変更し、前照灯をHIDとした。

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